『なぜ「若手を育てる」のは今、こんなに難しいのか 〝ゆるい職場〟時代の人材育成の科学|古屋星斗』
なぜ「若手を育てる」のは今、こんなに難しいのか “ゆるい職場”時代の人材育成の科学 (日本経済新聞出版)
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Highlights & Notes
概して、 可視化された自分の情報のコントロールに関する部分は 10 代が高いが、他の部分には 30 代・40 代とそれほど大きな差はない。他の部分の高低については世代というよりもっと別のファクターがあると考えるのが妥当であろう。
米国の若手の離職調査において、企業の利益追求に対する共感が低下していることが指摘されている 10。その対応として「パーパス経営」が叫ばれる昨今、社会性の高い企業活動が期待されるなかで、 経営姿勢への違和感や不正・ハラスメントなどの職場倫理への疑問が、組織への信頼低下につながりやすい ことが確認でき、具体的な行動に出る可能性が高いという点で、人と組織の関係性は変わりつつあると言える。
YOLO(You only live once)が欧米の若者におけるインターネットスラングとなって久しいが、こうした心理的状況自体は 10 代特有というよりは、社会変化による世代間を超えた横断的なものと考えられるかもしれない。  コロナ禍にしろ、国際情勢にしろ、ここ数年でいろいろなことがありすぎた。そのなかで、世代の問題を超えて現代社会の環境を背景として、「まずは〝いま〟を大切にしたい」という気持ちが強まっているということだろう。
実はこうした「中間回答が減少する」(二極化)という回答傾向は、多数の項目で見られている。  いくつか挙げると例えば、「他人が幸せか否かには関心がない」についても同様の二極化傾向が見られている。関心がない層は 30 代・40 代と比較して減っていないが、関心がある層は増加するという形である。また、「自分ひとり、または誰かひとりが褒められるのは、好きではない」について、「どちらともいえない」のみが減少し、はいもいいえも増えていることがわかるだろう。「親や上司など、周囲の大人や年長者に反抗するのは得がない」も同様だ。  本当に多くの回答で、この「中間回答が若い世代になるほど減少していく」状況が見られる。枚挙に 暇 がないのだ。  また、「将来も、地元を離れたくない」のような例もある。こちらは 30 代で見られる「あてはまる」=地元志向が強い状況から、地元志向層が減り、地元を離れる層が増えるという形で、結果として地元志向層と地元を離れる層がほぼ同じ割合となっている。
若者の地元志向言説もかなり流布されており、確かに 30 代においてその傾向が見られるが、 10 代においてはまた状況が変化してきている可能性もある。いずれにせよ、中間回答が増加するなかでその回答の〝平均値〟はほとんど何も意味していない。  このような状況において、例えば「行動を起こす」「行動を起こさない」のどちらかだけに注目すれば、確かに「Z世代には〇〇という傾向がある」と見えるだろう。他世代と比べて双方ともに割合が高まっているからだ。  また、単純に世代間比較すれば「地元志向でない」と言えるかもしれない。しかし、俯瞰して見たときに全く異なる全体像が浮上してくる。   全く違う志向をもった者が同世代に〝混在している〟 という像だ。
世代というファクターだけで説明がつく点もあるが、それだけでは説明がつかないことが多すぎるのだ。平均値では全体をほとんど把握できない二極化・多様化という現状も見えてきた。様々な二極化の掛け算によって、相当のバリエーションが生まれていることを忘れてはならない。
この若者はZ世代だからこうだ、という理解ではなく、その人自体への理解が求められる のだ。
こうしたことは若者の価値観やマインドセットの変化に理由を求めるよりも、単に「身近にそういった環境があったから」とシンプルに考えるのが自然だろう。環境が変わり行動・経験が変われば、それをきっかけとして人は変わっていく 13。   上の世代と、Z世代の本質的な違いは実は、環境が変わったことにより行動・経験が変わったことに起因する のかもしれない。
マーケティングの世界や芸術・文化の潮流をつくるためには全体的な若者の傾向を概括することが重要であり続けるだろうが、管理職がひとりの若者と向き合うとき、企業が一人ひとりの若者に活躍する職場をつくろうとするときも、世代論は同様に重要なのだろうか。  そして、〝何か根本的に違う人たち〟というよりは、感じている違いは単に〝既得権のなさ〟と〝環境適応力の高さ〟の2つに起因する、ちょっとした違いに過ぎないのかもしれないのだ。筆者は世代論というよりも、「既得権がなく従来のキャリアのつくり方に縛られず、また変化する環境に適応できる」という特徴こそが、いつの時代も若者が若者たるゆえんだと感じている。
多様化、多極化する若手に対してどう向き合うのか。それは、若手育成の問題というよりは、現代の自社における職業経験が乏しい一人ひとりの社会人をどう育てるのか、という問題に過ぎないのかもしれない。
もう1つ、理由がある。近年、若者側以上に職場側が変わったことだ。この職場の変化は「雰囲気や空気感が変わった」などという曖昧なものではなく、職場運営に係る法律が変わったという極めて社会的・構造的なものである。
なお、こうした話をすると、「うちの会社は、こういった状況なんですが、『ゆるい職場』なのでしょうか」という質問が企業の経営層や人事の方から来ることがある。しかし、自社が「ゆるい職場」かどうかを気にすることはあまり意味がない。  そもそも、「ゆるい職場」は社会や法律の要請であり、中長期的にはすべての会社がそうならざるを得ない社会情勢にあると言える。いわばそれは社会全体のトレンドであって、どこかの会社は「ゆるい職場」で別の会社は「きつい職場」で、また別の会社は「ふるい職場」です、といった議論には先はないのだ。  それでも気になる方は、自社の 10 年前の若手の残業時間や有給休暇取得率と現在のそれを比較いただければいい。ほとんどの企業が改善しているはずだ。 10 年前から残業時間が増加していたり、有給休暇取得率が下がっていたりする企業は、そもそももはや法律を守れていない可能性すらある 2 わけで、若手育成うんぬん以前に自社のコンプライアンス違反を気にした方がいい。 「ゆるい職場」というのは、現代の若手を取り巻く職場環境の変化の全体像 なのだ。
初職の会社への評価点( 10 点満点)は、入社年を追うごとに肯定的になっている。
すぐに来るかもしれない選択のタイミングまでに十分な経験や専門性がなければそれを逃すかもしれない、より生々しく言えば、早々に来る選択のタイミングをモノにしているように見える周りの友人・知人の話をSNSなどで 仄聞 して焦る。
ただ、こうしたダイナミズムは若者のキャリアに、初期の失敗を許容する状況を生んでいることも確かだ。初職を3年未満で離職した者と、そうでない者を比較すると、その後のキャリア形成には実は早期離職の悪影響は観測されない(図表2‐8)。むしろ若干だが、早期離職者の方が現在の仕事への満足感が高い項目が多いが、ほぼトントン、早期離職の影響はない(統計学的に有意な差はない)と言えよう。
しかし、選択の回数が飛躍的に増えた今後の職業人生においては、「少々の選択の失敗」(この図表の場合は就職活動)は「別の選択」(この場合は転職)によってリカバリー可能なのではないか。不安はあるが、自由がもたらす新しい職業人生の可能性を筆者は感じている。
そして、その結果として若手に起こった変化については様々なものがあるわけだが、その最大のものに、「本業の仕事が人生に占める時間の割合が、過去の若手と比べて小さくなった」 ことがあるだろう。本業の仕事が人生の一部分に過ぎなくなってしまったのだ。
た。同期でももう〝何者か〟になろうとしているやつがいるのか、と。いまの仕事で大きなプロジェクトの一員にもなっていますが、足が長い案件も多く、『この会社で今後数年かけてこういうものを売っていきます』という感じ。スピード感の違いがすごい」
「同期でも二層化してるかもですね。外を知ってしまって不安感を感じている人もいるけど、会社でのんびり満足している人も実際にいます。どっちが良いとかではなくて、でも、社外やまわりのことを何も知らなければ幸福に生きていけるのかもですね」
若手のほとんどは多かれ少なかれ不安や焦りを感じている。  ただその不安や焦りが〝モヤモヤとしたもの〟なのか、それとも〝具体的なものなのか〟という点で相違がある。  前者では、周りがホップステップしているように感じる、SNSでキャリアアップ転職した友人がいる、そういった情報が様々な媒体から否応なく入ってくるなかで、「自分は大丈夫なのか、大丈夫なはず、でも……」と思う心の揺らぎとも言える。選択の回数が多くなる職業社会で、そう感じさせられる接点が増えているのだ。  後者は、社内外で何か行動をしたうえで自分に足りないものが見えてきた、そういった「このままでは自分は〝何者か〟になれない」という不安や焦りである。少し動いた結果としてより自分の状況が俯瞰して見えてしまった結果、生じた気持ちだ。  若手の不安や焦りが、単なる〝青い鳥症候群〟なのかそれとも行動に立脚した具体的不安なのかは相対する際の重要な視点だ。ただ、職場の上司がざっくり聞けば「めちゃくちゃ満足しています!」とか「不満は特にないです」とかで流されてしまう(満足─不満足と安心─不安はそもそも別の問題だ)。  事実、筆者が企業で管理職研修を実施した際に「部下の若手の不満の声を聞けていますか」と聞くと、多くの会社で4~5割の管理職の方が手を挙げるのに対して、「部下の若手の不安の声を聞けていますか」と聞くと1~2割しか挙がらない。  満足していても不安や焦りを抱えているかもという発想が乏しいかもしれないし、同時に通常の上司─部下関係や単なる1 on 1ではそこまで掘り下げて聞くことが難しいのだ。
若手において一人ひとりが最も異なるのがこの点かもしれず、もしかすると同じ会社にいる若手でもその会社の仕事の〝大変さ〟に対する気持ちが全く異なるのかもしれないと感じている。その気持ちを左右しているのは、入社前の社会的経験の程度であったり、自分の身の回りの友人・知人の動向であったりする。
筆者は若者のキャリアや活動全般に学歴や経歴に関係なく関心を持って研究しているが 2、正直に言って現代の若者が学生時代に実行しているアクションのなかには、単なる〝ガクチカ〟(学生時代に力を入れたことを就活の採用面接で聞くことが多く、その略語。就活用語)で済ませるのは非常にもったいないものが存在している。  そのもったいなさは若者にとってのもったいなさでもあるが、同時に企業にとってもだ。ベンチャー企業でプロジェクトマネジャーをしていた経験がある事業領域がある新入社員に、なぜその領域で挑戦をさせてみないのか。挑戦させて挫折する経験をさせるチャンスなのに、なぜ無理に通常のローテーションに組み入れようとするのか。単なる〝ガクチカ〟だと理解してしまっているからだ。だから人事の採用担当から配属先に情報共有もしっかりされないのだ(もしくはされていても配属先の上司がたいして読んでいないのだ)。  まずは、 単なる就活の材料として考えていい経験と、そうでない経験もあるということを認識していただきたい。その違いによって、会社の仕事の見え方が若手であっても全然違うという状況が顕在化しているのだ。
上司に対して感謝の声やありがたさを語る一方で、その上司のような姿を目指したいかというとほとんどNOなのは共通点と言えるかもしれない。「上司はありがたいが、ああはなりたくない」、そんな存在がいまの若手の上司観である。
さらにはその場でひとりの若手から「ロールモデルを社内に見つけることなんて無意味です。社外につくるべきです」と意見が出た。実話である。  いずれにせよ、月100時間の残業をしていた若手時代を持つ上司、「会社の花見の場所取りが最初の仕事だったんだよ昔は」という先輩の話を聞いて、どうロールモデルにしようというのか 4。マインドの問題ではなく、もはやルール的に、法律的にそのキャリア形成が不可能なのだから、モデルにしようがない。
ただ、その前提で上司や先輩とどう接点を持つかに注目しよう。「何を言ってもわかりあえない」という若手もいれば、「あ、意外と……」という若手もいるのだ。実際の声として出ていた「あ、意外と上司も迷っているんだ」といった気づきが起こっているとき、背中を見て育つ方式のロールモデルとしての上司─若手の関係から、また違う関係が形成されつつあると感じる。
新人時代、若手時代の職場環境が違いすぎるのだから、それは 上司側の問題でも若手側の問題でもなく、単なる過ごしてきた環境の違いが、わかりあえなさを生んだに過ぎない。
職業社会が変化し会社に最後まで頼り切ることがイメージしづらいなか、自社のなかでの価値だけではなく自身の市場性が上がっていくことを重視せざるを得ないのだ。社会で自分は通用するのか、転職先を自分の力で見つけられるのか、その市場的な観点で見たときにいまの職場の仕事に安心できるか。
このうえで興味深いのは、職場の心理的安全性とキャリア安全性が強い正の相関を持たない点である。いくつかのデータセットで検証したが、 若手の職場の心理的安全性認識とキャリア安全性認識には強い正の相関がなく、無相関である可能性が高い。  つまり、職場における心理的安全性とキャリア安全性は、ともに新入社員のワーク・エンゲージメントを高める性質を持つ一方で、「片方を高めてももう片方がともに高くなってはくれない」という、独立した要素であることが示されている。
心理的安全性に加えて、その職場で自分がどんな社会人になっていけるのかの予感や予期、つまりそこにはもうひとつのピースである「キャリア安全性」が必要であった。
筆者は過去に、約 50 名の若者へのインタビューを整理し、若者のキャリア観を「ありのままでありたい」と「なにものかになりたい」という2つの欲求に整理している 12。  今回提示した職場に必要な2要素の、 心理的安全性が「ありのまま」であることを受容し、 キャリア安全性が「なにもの」かになることを促すファクター であると感じている。
総合すると職場のキャリア安全性とは、「その職場で働き続けた場合に、自分がキャリアの選択権を保持し続けられるという認識」 と言えるかもしれない。  または、今後どんな職業生活上のアクシデントが生起しても安定的に職業生活を営んでいける、という気持ちがその職場の仕事でどの程度高まるか、とも表現しうるだろう。
この結果から明らかなように、 職場における仕事の時間の長さや仕事の量的な多寡と、キャリア安全性は直結していない。
仕事で自分が求められている感覚が乏しいということであり、それは「なぜ自分がこの仕事をしなくてはいけないのか……」という気持ちである。それはストレスにもつながるし、「物足りなさ」のような感情が生じているとも考えられる。
以上から、 入社時点の本人の志向性とは独立したところで、入社後のキャリア安全性が高い職場と巡り合うかどうかが決定している と考えていいだろう。  若手本人のマインドセットがどうなのか、という問題ではない。 どんな職場環境と巡り合うのかの問題 なのだ。
また、「自分の失敗談を部下に話す」よりも、成功体験を話す頻度がかなり低い点も興味深く、サーバントリーダーシップなどリーダーシップ論も異なる展開を見せてきたこともあり、日本のマネジャー像が変容していることがよくわかる。
他方で、「部下に自身の知り合いを紹介する」や「イベントや社内外の勉強会等に、部下を誘う・紹介する」は頻度が最も低く、若手に機会を提供するような働きかけがほとんどされていないこともわかる。心配りや気遣いはしているが、機会は提供していないのだ。
・管理職自身のワーク・エンゲージメントと若手育成状況に強い関係性が見られる点
例えば、ワーク・エンゲージメントは若手育成上の重要な論点となっているが、職場で若手と向き合うことが育成のミッションを帯びている管理職のエンゲージメントをどう左右しているかにも注目すべきと考える。
背景には役割が曖昧な日本独特の管理職像がある。
いずれにせよ、現代の大手管理職層において顕在化しているのは、若手育成の成否感がすなわち、管理職当人のワーク・エンゲージメントの〝代理指標〟になりうるほど明確な関係性を有しているということだ。
もう一度繰り返すが、この結果は若手育成実感を高めることは管理職のワーク・エンゲージメントの代理指標とすら言いうることを示す。組織としては若手育成問題の解消は、若手が育つかどうかを決定することはもちろん管理職層の仕事への熱意の高低をも左右する、「二重写しの問題」と認識すべきなのだ。
まず管理職の年齢層別の成功実感率を図表5‐15 に示した。より年齢層が若年の管理職ほど成功実感率が高い傾向が見られる。
現代の若手育成において、関係負荷(人間関係のストレスや理不尽さによる負荷)がマイナス要因になっていることがわかっている。年齢が近いことで、過剰な上下関係による「理不尽さ」や「なぜその指示を受けたのかわからない」という関係負荷の上昇を回避しやすいことが、若手と年齢の近い管理職の〝育てやすさ〟なのではないか。
整理のうえ、明確に特殊なポジションなのは図の左上に位置する「部下に自身の知り合いを紹介する」、さらに視界を広げれば「イベントや社内外の勉強会等に、部下を誘う・紹介する」であり、高頻度で行っている管理職は少数派だがその効果は高い。若手にある種の「セレンディピティ」の提示、本人の視界の外にある機会を提供する手立てであり、新たな打ち手群として注目すべきかもしれない。
ここからは企業による若手育成投資が若手のためだけでなく、管理職の育成への成功実感を高める(=ひいては管理職自身のワーク・エンゲージメントを高める)という二重のインパクトを持つ可能性が強く示されている。  つまり若手への教育投資は、早期離職率の上昇による短期的リターンの低下の議論とは切り離しても、回収できるのかもしれない。職場における若手~管理職層のエンゲージメントを高める投資としてその価値を捉え直すことができるということだ。そう考えたときに、決して割の悪い投資ではないはずだ。
1%水準で有意だったほぼすべてが、管理職が抱えるひとつの職場という単位を超えた「横断的なつながりを生み出す」ような会社の制度であったことは、興味深い共通点だ。  越境学習研究に「日常の越境場 20」という概念があるが、管理職が若手育成を丸抱えしなくてもよくなるような「日常の越境場」を形成する制度が有効である可能性がある。
この点については、当事者調査の分析で発見された現代の有効な育成メソッドである「横の関係で育てる」として筆者が提唱している。若手だけのチームをつくって、特定の期間、数字等で明確に進捗や成否が確認できる職務を担わせる新たな育成手法である。  例えば、飲食チェーンの新入社員研修店舗に端を発する育成メソッドで、新入社員だけがいる店舗をつくりそこに普通にお客さんを入れる。すると、様々な日々のトラブル対応などが若手だけのチームで行わざるを得ず、また店舗運営では売上の増減など数字で具体的に〝自分たちがうまくいっているかどうか〟を確認できる。上司・先輩が持つ経験知がその場にはないため、自分たちで考え・試行錯誤せざるを得ず、またその努力の方向性が短期的に数字等で確認できる。  こうした若手だけで行う職務を担わせることで、良質な質的負荷のもと上下関係による理不尽な人間関係で煩わせず、超高速で成功・失敗経験を体得させていくものだ。
こうした結果を見れば、若手育成の主体はマネジャーではあるが、企業が制度的に上司‐部下の関係性を支援できることは明らかであり、特に「日常の越境場」を形成するような制度の企画を進めていくことが有効であると考えられよう。  企業は制度面から、マネジャーは自身の行動面からアプローチしていくことで、若手がいきいきと躍動しかつマネジャー自身も豊かな仕事ができる、新しい職場にしていくことが可能なのだ。
これには2つの見方があるだろう。ひとつには、若手にとって、こういったアクションを起こすマネジャー自体がまさに新たなロールモデルになっているケースだ。この場合に、マネジャー自身がロールモデルになることで若手との関係性が転換し、育成の効率が上昇している可能性がある。  ものすごくわかりやすく言ってしまえば、若手から見てその上司が「(キャリア的に)かっこよく」なっているということだ。職場の仕事でも職場外でも活躍できている、そんな感覚を与えていることがその職場のキャリア安全性を高めているのだろう。もうひとつには、社外での経験が結果としてそのマネジャーの育成能力を高めている場合だ。
「古屋、ちょっと来て」を「古屋さん、ちょっと来てもらえますか」にしたからといって、育成実感が高まることはない。確かに外形的な関係は変わったように見えるが、どちらかと言えばハラスメント防止のための予防的な打ち手に留まっていると言えるかもしれない。
注目すべきは「あてはまるものはない」、つまり〝何の経験も求めていない〟という管理職の育成成功実感率が著しく低い(9・2%)ことだ。  これは、「変に色がついているより、会社の色に染まってくれる白紙がいい」「大学での経験など社会に入ってからは何の役にも立たない」というような認識を持っている管理職だと、若手の育成がうまくいっていない ということだ。
フィードバック手法全体を考察すれば、「人の目に触れないように」や「資料をつくって手厚く」という、伝えるシチュエーションや形式の問題というよりは、むしろ「なぜその指導・フィードバックを行うのかの明確性を高め」「肯定的だが趣旨が明確に伝わるフィードバック技法を身につける」という〝コンテンツ〟の部分こそがポイントになっているのだろう。褒めることとフィードバックは違うのだ。
そう考えたとき、若手を育成するというタスクは、上司や先輩が片手間にできるものではなくなりつつあるのかもしれない。「育成専門職」「フィードバック専門職」 のような職務の必要性すら感じさせる。
新入社員に限らず誰しも、自分の現状を認識する際に完全な客観性を保って判断することはできず、個人のそれまでの経験などを参考に評価することになる。この点について、筆者が「学生時代の社会と接する経験」の多寡によって職場への認識が異なることを明らかにするとおり、過去の社会と接する経験(社会的経験)との比較という視座が発生しているのが現代の若手の特徴でもある。具体的には「学生時代に起業したが、そのときの経験と比べるといまの職場は……」といった声を聞くことがあるのだ(詳しくは第7章)。
新たに職場に加わるニューカマーは過去の自社の職場環境など知る由もない。過去の経緯から考える経営・管理側と、そうではない若手側のすれ違いを前提にしたコミュニケーションが必要となる。
もはや、「ゆるい職場」の善悪を語る意味はないのだ。
なお、一部において〝ゆるい職場=ホワイト企業〟と同一視する言説があったが、全くイコールではない。
筆者は、〝自分の会社では成長できない〟と思う若手と、〝自分の会社で成長できる〟と思う若手が分化している状況は、入社前の社会的経験が若手にもたらした会社に対するある種の〝見切りのはやさ〟が顕在化したものと考える。彼ら彼女らが保有する入社前の経験が、早々に自社がどっちなのか〝見切る〟、判断材料を与えたのだ。
「他社と比べてはじめて、自社の良いところがわかる」  比べることではじめて長所を知り、短所を許せるようになることは、ショッピングでも恋愛でも同じ。人間の〝あたりまえ〟だ。 「自分がやりたいと思った社外活動を認めてくれた」こと、会社が自分の挑戦を後押ししてくれた信頼感から、「会社に対して本気で貢献したいと思った」と筆者に語ってくれた若手社会人もいる。 「会社が自分のことを応援してくれている」と感じたことで、個人と会社のギブアンドテイクの循環が回り出す。これこそ、新しい個人と会社の関係の芽吹きではないか。
選択のタイミングが「課長に昇進できなかったとき」とか「親の介護が必要になったとき」だけではなく、 20 代のうちに来てしまう。第2章で見たように 20 代後半の社会人の退職経験率は 51・5%と半数を超えているし、そのほかにも副業・兼業をするかしないか、リスキリングをするかしないかなど、多種多様な選択のタイミングが来る。  そう考えたときに、仕事がどこが目的地か見えない、ダラダラとしたジョギングであってはならない。  目に見えるところにゴールテープを張った短距離走でないと、ハイパフォーマーな若手の職業人生プランには組み込まれ難いのだ。
彼女の職業人生にとっては、大手も中小もそれほど関係がない。職務経歴書に書ける経験という点では、どちらが彼女にとって〝良い経験〟〝本気で取り組みたい経験〟であったかは明白だろう。
短距離走の経験でないと、経験をどんどん積んでいきたい若手にとっては入口から無意味なものに感じられてしまう。繰り返すようだが、それは別に若手のマインドセットの問題ではなく、選択の回数が増えた職業人生という環境変化の問題である。
問題は、 企業側が「やりたいこと」を若者に要請することが完全無欠の解決策ではない ということを、企業側も若者側も、まだ認識できていないことだ。
【引用】つまり、現代の職場においては〝職場で仕事をしているだけでは若手のロールモデルにはなれない〟。
別に職場で仕事がバリバリできることがすごくなくなったわけではない、ただキャリア形成上、職場だけで仕事ができることの魅力が低下したに過ぎないのだ。
こういったデータや声から見えてきたのは、 若手のロールモデルになりうるのは、自身も越境しているマネジャーである という仮説だ。選択の回数が多くなったのはどの世代も一緒であり、前例のないキャリアに直面しているのは若手に限らない。であれば、悩み、行動し、試行錯誤しているのは実はマネジャーも一緒のはずだ。その自身のキャリアを豊かにしていこうと行動していること自体が、若手にとって魅力的に感じられているのではないか。
職場の仕事がバリバリできる、単なる〝すごい上司〟から、職場の外でも活躍できる〝変な人〟へ。目指したいキャリアの像が変容してきているのかもしれない。
【引用】さて、職場の外への越境活動を行うか行わないかというレベルの話はもちろん大事だが、同時に大事なのが、行っていることを開示しているかという点だ。
さらにポイントだと考えているのが、そうしたマネジャーが越境活動に至るための〝悩み〟を開示できているかどうかだ。その職場で働き続けることが当たり前で、強い確信をもってエンゲージメントMAXで働いているマネジャーばかりではないことは各種調査でわかっている 20。もちろん、いまや吹っ切れた人もいるだろうが、昔からそうだっただろうか。悩みながら、キャリアをつくってきたのではないか。その結果として越境して自身のキャリアを太…
この際に必要な発想は「伴走」ではなく「ひと手間かける」だ。職場でマネジャーや先輩が自身の業務を抱えながらずっと伴走し続けることは現実的でないのだから、「ひと手間かける」部分を明確にすることだ。
この例に限らず、自社に何らかのメンバーシップを感じている人材のすそ野を広げるのだ。
その会社が活かせる人材は別にその会社に毎日通っている社員に限らないのだ。 「自社で働いたことがありその会社での仕事に魅力を感じているけれど、いまはその会社の社員ではない」人材の力を活かすのだ。こうした人材のことを筆者は「関係社員」 と呼んでいる(地方創生の文脈で使われる「関係人口」のもじりだ)。
もちろん、元々のその会社のメンバーとはコミットの度合いは異なるが、より大きなコミットを引き出せるかどうかの競争が始まっていると言っていい。そのうちの100%コミット人材が、従来の社員や転職による人材獲得というだけだ。
優秀な若手がその会社に100%フルコミットするためには、それに見合った待遇・労働環境・職場の心理的安全性・職場のキャリア安全性を提供する必要がある。  しかしそんな完璧な会社はない。だから辞めてしまうし、それを避けようと思えば〝しがみつき人材〟しか育たない。だったらハイパフォーマー層の若手には会社だけで育てる・会社の仕事だけにコミットさせるのは諦め、社内外を横断しながらメインの仕事として自社にコミットさせるのだ。中間層の若手には、関係社員がもたらす偶発的なきっかけを活かして「行動するための言い訳」を提供していくのだ。
では若手育成は何を目指すべきか。筆者は「自社の仕事にいまどれだけコミットしたいと思っているか」 と「自社の仕事に将来どれだけコミットしたいと思っているか」 の2点を新たな指標として提案する。  前者は現在のワーク・エンゲージメントを測ることで可視化できるだろう。多くの大手企業がすでに実施していることでもある。後者は、「期待コミットメント量」とでも呼べる尺度で、5年後・10 年後の自身の人生設計とも組み合わせ、最大何%・最低何%くらい自社の仕事にコミットしたいと考えているかだ。100%か0%かの発想の組織では、離職率が高まるのを歯ぎしりしながら見守ることしかできない(もちろん人事や上司が普通に聞けば、建前で多くが「100%です!」と答えてしまうだろうし、そう答えた若手の何割かは転職活動をしており数年で辞めているのだ)。
またそれは、職場にいる時間が法改正等ルール変化の影響により短くなった若手のキャリアの全貌を、会社が把握できなくなったこととも関係している。もはや社内の誰にも若者の全体像を把握することは不可能なのだから、何か若手との間で共通認識をつくり合意したうえでコミュニケーションをすることが必要になる。その会社でのキャリア状況を示す「代理指標」としての新しいKPIが必要なのだ。離職率・定着率では若手とコミュニケーションはできない。
この新しいKPIが成立するとき、本音でキャリアの展望を語り合える組織が生まれるだろう。
転職には意思決定が必要だが、転職しない=在職し続けることには意思決定は必要ない。
ネガティブ在職が悪いと言いたいわけではなく、 意思決定がされていない在職が問題 だと言いたいのだ。入った会社に居続けることは、判断を先送りすれば可能だ。しかしそれは若手にとっても会社にとっても良い結果を生まないかもしれない。
ここで、在職を意思決定する、つまり「選択的在職」 の重要性が浮上する。なぜその会社で仕事をし続けるのか、なぜあえて自分は辞めないのか、ということを考えて〝転職しないことを選ぶ〟ことだ。その在職こそがキャリア選択の先送りではなく、キャリア選択の結果である。若手に「辞めない理由」を問うのだ。
「辞める理由」を調べる企業は増えている 9 が、「辞めない理由」も多様性を増している。転職は意思決定を伴うが、転職しないことには意思決定は伴わない。「選択的在職率」も定着率に代わるKPIになるだろう。
質的負荷を量的負荷や関係負荷を高めずにどう高めるのか、いわば「コスパの良い質的負荷がうちの仕事にはあるよ」ということが、待遇面や会社に所属するブランド価値に加えた「関係社員」づくりへのポイントになる。
「デカい会社でデカいことをする」だけが職務経歴書で輝く経験ではない。若手にとってはどんな小さな会社であっても、自分の仕事で手ごたえを感じ専門性が高まる瞬間に質的負荷を感じられる。  何者かになれるかもしれない機会を提供することが新しい時代の人で勝つ組織、ハイパーメンバーシップ型組織の求心力となる。
筆者は、Z世代と言われる若者たちと仕事やキャリアについて話していて、率直に世代間の違いを感じたことはない。それは個々人の違いがあるというだけで、「Z世代は〇〇である」とか「〇〇がZ世代のトレンド」といった意見に強い違和感を持っている(仕事やキャリアの領域においては、だが)。もちろん特別視するほどの違いがある個人もいるが、それはどの年齢層にもいる。  人は「いま」を特別視したがるものだ。だいたい昔にも同じようなことが起こっていたのだ。
つまり、「ゆるい職場」を活かして様々な人が活躍できる・活躍したいと思う社会をいかにつくるか考えることが、労働供給制約という大きな社会課題を突破するための第一歩となる可能性がある。
こちらで紹介されていた。
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#2024/10/15
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古屋星斗
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